教える英文法2ー序文

      序文

      はじめに

 「英語を教える立場の人」といっても、いろいろな人がいるでしょう。小学校で本格的に英語を教えることになって戸惑っている教師、英語教師を志望して教育実習が迫っている大学生―あるいは、社会人―、英語教育の経験が浅く自分なりの方法が確立していない教師、教師として中堅どころであっても教授法に悩んでいる人、なかには上の立場から自分たちが学んでいる英語を見てみたいと思っている高校生がいるかもしれません。立場は違っても、次の問題にぶつかることが多いかと思います。

 

英語をどう教えていくのか、あるいは、どう学んでいくのか。

 

この難題に一つの正解はありません。

教育は「生きもの」です。教える対象の生徒の学年、あるいは、習熟度、生徒が目指すもの、生徒の動機、あるいは、やる気、クラスの雰囲気、その他諸々の条件によって異なってくるからです。

 ある程度の英語力を見込める生徒が対象なら、知識を深く掘り下げて説明することによって英語の考え方に対する理解が深まる可能性が高いでしょう、しかし、英語力があまりない生徒が対象の場合、英語に対する理解を深めるきっかけになるときもあれば、逆に、英語をますます難しいと感じさせてしまうかもしれません。

 教える側の教師にしても、それぞれに与えられたスケジュールがあるはずです。深く掘り下げて解説すればそれだけ時間がかかります。予定していた範囲を説明しきれなかった、ということにもなりかねません。

 「何をポイントにして授業を組み立てていくか」は、教える側の教師ひとりひとりが考える問題です。それに対する普遍的な正解はありません。

本書は、「英語、特に、英語を表現したり、読んだりすることに、英文法をどう生かしていけばいいのか」を長年の経験から一つの方向性を提示したものです。

 

本書の構成

 最初に、項目ごとに代表的な表現や構文が書かれています。ほとんどは参考書や教科書に書かれている内容ですが、通常の参考書には書かれていないものも一部含まれています。まずそれを読んで、それぞれの項目について「自分ならどう説明するか」を考えてください。

 次に、《問題提起》を読んでください。それぞれの表現や構文が抱える問題点や、学習者が陥りやすい問題点が提示されています。各問題点に対する答えを、まずは自分で考えてみましょう。

  

 本書で参考にした辞書は、簡略化して表記しています。

 

  ジーニアス:ジーニアス英和辞典(大修館)

  新英和:新英和大辞典(研究社)

  OALD:Oxford Advantaged Learner’s Dictionary of Current English

      (OXFORD KAITAKUSHA)

  COD:THE CONCISE OXFORD DICTIONAY OF CURRENT ENGLISH

      (OXFORD AT THE CLARENDON PRESS)

  広辞苑岩波書店

 

 本編に入る前に、具体的に2つのケースを見ていきましょう。本来は、《構文・表現解説》→《問題提起》→《解説》の順に読み進めていくことになりますが、ここは、いきなり《問題提起》から始めます。

 

                  《問題提起

 何事にもタイミングがあります。

 「木を見て森を見ず」ということわざがあります。「細部にこだわりすぎて全体像を見失っている」という意味です。

 たしかにそういうこともあります。ただ、「森を見るのが先か、木を見るのが先か」と問われると、どちらを先に見るほうがいいのかは、対象によって異なります。

 いきなり森を見渡せる丘の上に連れていかれて、「この森は~樹林だから、あそこに~という木が生い茂っていて、あそこに~という鳥がいて、・・・」と説明されてもピンときません。

 まず実際に、森の中に入り、自分の目で木を見て、鳥たちの生活を見て、実感し、感動する。その後ではじめて、丘の上から森を見ると、それぞれのつながりがわかります。

 言葉の勉強にはそういうところがあります。

 皆さんの中にもそれに似た経験をした人がいることでしょう。

 高校に入学して、何百頁もある英文法の参考書を渡され、最初の授業で、いきなり「名詞節がどうのこうの、形容詞節がどうのこうの、副詞節がどうのこうの、・・・」と言われても、ピンときません。よくわからない段階で、文法用語を駆使して「こうだの、ああだの」と説明されると、いっぺんに拒否反応を起こす者もいるでしょう。英語嫌いを生む一つの要因かもしれません。

 例えば、関係詞なら、まずはそれぞれの用法を説明し、暗唱するべきものは暗唱し、それからいろいろな語や意味を教えて、必要が生じた段階で-例えば、whateverなどは、どうしても名詞節と副詞節の概念の把握が必要になる-、必要な事だけを説明すればいいのです。

 関係詞の用法がわからない段階で、「形容詞節の働きは・・・」と言われても、具体的なイメージがわきません。むしろ、上述のように、拒否反応を起こしてしまいかねません。

 言葉の習得に限らず、「私たちがいろいろ苦労して作り上げ体系化したものを、あなたたちはその体系から入ることができるのです。あなたたちはラッキーです」と言われて、体系的なことがらを説明されても逆にわからないことがあります。体系化された総論はしばしば抽象的で難しいことが多いからです。

 

 話は少し変わりますが、小学校での英語履修が本格化されました。英語でしばしば話題になるのが、理屈か実践かです。

 理屈(文法)ばかりでは、実際に言葉を使いこなすことはできません。小学校、ひょっとすれば、中学校でも、理屈(文法)ばかり教えずに、もっと楽しみながら英文を覚えて話そう、という議論もあります。

 たしかに、理屈ばかり理解したところで言葉を使いこなすことはできません。頭が回転しないからです。別の言い方をすれば、脳のニューロンが発火しないのです。

 初めの段階(小学校や中学校)では、先生が最低限の約束事(単語や文法)を少し教えて、生徒たちが反復練習をする。あるいは、単語を変えて、互いに質疑応答を繰り返す。スピーキングを司る脳のニューロンを活性化させるためには必要だと思います。しかし、これだけで終わってしまえば、それ以上の応用が利きません。ほとんどの人は英語漬けになるという恵まれた環境にはいないからです。特に、ある程度年齢が進むと、理屈が入り込んできます。これは否定できません。

 文法は、「なぜそのような文になるのか」という根本的な問題に係わっています。そういう意味では、非常に大切な約束事なのです。

 実際によくある事例を見ていきましょう。


 

ケース1

 次の文の下線部について考えてみましょう。

 

「人に教えるときは、教える内容の三倍は知っていなければならない

 

 生徒の立場から、この日本文の英訳過程についてみていきましょう。生徒は、ある程度文法の基礎がわかっている、そういう意味では、理屈がわかっていることを前提にします。

 

生徒の英訳・・・

 

 おなじみの倍数構文だな。

 「三倍~」だから、three times as ~ as。

 「知っていなければならない」は、you must(have to、should)ぐらいでいいか。

 「教える内容」だから、the content ・・・ 。

 「三倍」ということは「三倍より多い」ことも含んでいるから・・・「少なくとも」を意味するat leastを加えたほうがいいかな。

 

 まっ、とりあえず、

 

You must know at least three times as ~ as the content.

 

 asとasの中に何を入れようか。ちょっと困ったな・・・

 

You must know at least three times as things as the content.

 

 いや、待てよ・・・asは副詞だから、名詞thingsはまずいな。

 形容詞manyを付ければ解決だ。

 

You must know at least three times as many things as the content.

 

 (英文をしばらく見て)ウーン。「私は知識を2つ持っている」と言うだろうか。人に「あなたは知識をいくつ持っていますか」と尋ねるだろうか・・・知識は数ではなく量だ。そうか!many thingsではなくmuchを使えばいいか。

 

You must know at least three times as much as the content.

 

 (再び、思考)contentが気になるな・・・このままでは「何の内容」なのか不明確だし・・・

 「話す内容」は、what you sayやwhat you have to say(have toではなく、「教えるために持っているもの」という意味)だったよな。じゃあ、「教える内容」はwhat you teachかwhat you have to teach(教えるために持っているもの)でいける

 よしっ!

 

You must know at least three times as much as what you teach.

 

 教える予定にしている内容に対する知識は、教える前に習得しているはずだから、一応be going to『確定的予定』を付けて

 

You must know at least three times as much as what you’re going to teach.

 

 

 これで完璧だ。

 

・・・・・・・・・・・・

 

 この生徒は、思考力は豊かで基礎もできています。しかし、比較級でやってはいけない根本的なミス、その意味で、決定的なミスをおかしていることにまったく気づいていません。

 asの後に the contentを使おうが、what you teach / what you’re going to teachと英訳しようが、根本的に比較表現がわかっていないのです。

 

 もう一つ、例を示しましょう。これもよくあるミスです。

 

 

 


 

ケース2

 

 次の日本文の英訳を考えてみましょう。

 

「彼は私ほど背が高くない」

 

生徒の英訳・・・

 

 「彼は私ほど背が高くない」ということは、「彼が私より背が高い」を否定すればいいのだから

 

He is not taller than I (am).

 

・・・・・・・・・・・・

 

 「彼が私より背が高い」を否定すると、「彼が私より背が高い(という)ことはない」になってしまいます。

言い換えると、

 

「彼の身長は私と同じぐらいかな。あるいは、少し低いかも」

 

という意味になってしまいます。

 問題は、「身長が同じぐらい」を含んでしまうことです。

 しかし、「彼は私ほど背が高くない」は、「彼より私のほうが、背が高い」という意味です。「同じ」ではありません。

 このことに関して、学校ではあまり触れられていないように感じます。

 

 上で示した2つのケースには、様々な比較表現を理解するうえでしばしば必要になる考え方が含まれています。どのタイミングで説明するかはケースバイケースですが、できれば最初に説明するほうが、後々、生徒にとって理解しやすくなります―ケース1の例文は少し難しいので、簡単な英語で解説するほうがいいでしょう。

 

 

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