英語の散歩道15ーたかがseem、されどseem

たかがseem、されどseem

 

 受験生にとってseemと言えば、

 「~のように思われる、~らしい、~のようだ」

という意味とともに、

 It seems that S + V ~.

 = S seem(s) to V ~.

 It seems that S + Ved ~.

 = S seem(s) to have Ved ~.

という書き換え問題で、お馴染みの表現ではないでしょうか。

 あとは、たまに英文の中に出てくる表現、といったところでしょうか。

 ところが、このseemがなかなかの曲者で、厄介なところがいくつかあります。

 

 次の日本文に対する英語表現を考えてみましょう。

 

 「疲れているので、今夜はよく眠れそうだ

 I’m tired, so I seem to be able to sleep well tonight.

 

 この英文に対して、「seemを未来の出来事に対して使うのは不適当」と回答するネイティブもいます。

 (正しい英文は

 I’m tired, so probably I’ll sleep well tonight.

 I’m tired, so I should be able to sleep well tonight.)

 

 「なぜseemを未来の出来事に対して使うのは不適当」

という意識が働くのか、その理由を知りたいわけです。

 

 たしかに、

 「ナーバスになっているので、、眠れそうにない」

なら

 

 I’m nervous, so I can’t seem to sleep.

 

となります。

 

 では、次のケースはどうでしょう。

 

 「来月、彼は大阪に引っ越す予定だ」

 He’s going to move to Osaka next month.

 He’s moving to Osaka next month.

 He’ll be moving to Osaka next month.

 

 3つの英文のうち、最後の英文を取り上げましょう。

 He’ll be moving to Osaka next month.

 

 「来月、彼が大阪に引っ越すことは確定的な予定」ですが、これが、確定的ではなく、

 「(どうやら、)彼は大阪に引っ越すようだ

と、推測する気持ちがあったとしましょう。

 英文は、

 

 He seems to be moving to Osaka.

 (ジーニアス英和辞典の例文より)

 

となります。

 あるいは、

 

 It seems likely to rain.

 「雨らしい」

 (ジーニアス英和辞典、研究社新英和大辞典の例文より)

 

という用例もあります。

 上の2つの用例は

 「seemを未来の出来事に対して使うのは不適当」

という説明と一見食い違っているように思えます。

 たしかに、単純に

 「seemを未来の出来事に対して使うのは不適当」

と考えるのは少々危険なような気がします。

 しかし、

 「疲れているので、今夜はよく眠れそうだ

というケースで

 「seemを未来の出来事に対して使うのは不適当」

と考える、いわゆる肌感覚は間違いなさそうです。

 いったいどういうことでしょうか。

 

 CODOALD、PODなどに載っているseemの定義をみてみましょう。

 

 seem:give the impression or sensation of being

    be apparently perceived or ascertained to do or have done

 (CODの定義より)

 

 つまり、seemは

 「そうである、そうする、そうしたという印象、感覚、知覚、認識を、、与える、あるいは、もっている

という意味なのです。

 この「、もっている、与える」という意識が重要なのです。

 

 「(どうやら、)彼は大阪に引っ越すようだ

 He seems to be moving to Osaka.

というケースでは、彼が大阪に引っ越すのは未来かもしれませんが、いろいろな情報から、「彼が大阪に引っ越しそうな感覚、あるいは印象を、もっている」のです。

 

 It seems likely to rain.

 「雨らしい」

というケースでも、空模様から「雨が降りそうだと、感じている」のです。

 

 それに対して、

 「疲れているので、今夜はよく眠れそうだ

のケースでは、「疲れていて、今にも寝てしまうかもしれないという感覚を、今、もっている」わけではありません。ただ、「疲れているから、今夜はぐっすり眠れそうだ」と思っているに過ぎません。

 その意識が働き

 「よく眠ることができるはずだ」

 I should be able to sleep well ~

 「おそらく-80%ぐらいの確立で-眠れるだろう」

 probably I’ll sleep well ~

と表現するのです。

 

 さて、seemの用法の習得にはまだ関門があります。

 ジーニアス英和辞典によると、to beの省略に関して、以下の記述があります。

 「happyのように程度を表す形容詞ではto beは省略できるが、singleのように段階的意味を表さない場合はto beは省略できない」

○ He seems (to be) happy.

○ He seems to be single.

× He seems single.

 名詞に関しても、「形容詞もなく程度を表すものでないときはto beは省略できない」として、

○ It seems (to be) nonsense.

○ He seems to be a students.

× He seems a students.

 「studentのように程度を表す名詞でないときも形容詞を伴うときはto beを省略することは可能」です。

 She did not seem (to be) a satisfactory candidate for the post.

 (ジーニアス英和辞典)

 He seems (to be) a nice fellow.

 (研究社新英和大辞典)

 Mary seems (to be) a nice girl.

 (オックスフォード現代英語用例辞典)

 the man who seems (to be) a good fellow

 (COD

 

 これは、おそらく、to beを伴わないseemの後には形容詞がくるという意識の表れだと考えられます。

 形容詞だとしてもsingleのように段階的意味を表さない語は、「独身か、独身でないか」という名詞的な印象を持つのでto beを省略しないのではないでしょうか。

 逆に、nonsenseのように、名詞であっても段階的意味をもつ語(ナンセンスさにも段階がある)は、形容詞的な意識が働くのではないでしょうか。その証拠に、段階的意味をもつ名詞であっても-例えば、foolは、愚かさには程度がある-、複数形になるとto beの省略は生じにくくなります(英語正誤辞典 荒木一雄著 研究者)。

 ? They seem fools.

 複数形のsが付くことで、形容詞的感覚がなくなり名詞的感覚が出てしまうのかもしれません。

 そう考えると、段階的意味を表さない名詞であっても形容詞を付ければto beを省略する人がいることに納得がいきます。

 英語表現の立場から考えると、seemの後に名詞を続ける場合、段階的意味かどうかの判断をするまでもなく、形容詞が付いていなければto beを書くほうが無難かもしれません。オックスフォード現代英語用例辞典に、「形容詞が付かない名詞の前では、seem to beがほとんど常に用いられる」と書かれていますから-seem to beほどの頻度はありませんが、名詞が後にくるときはseem likeも使われます。

 名詞だけではありません。形容詞が続く場合でも-その形容詞が段階的意味を表す平凡な語でも-、

「話者によって直接的に観察可能な状態、あるいは、容易に知覚できる状態を述べるものでなければto beを省略することはできない」(英語正誤辞典より)

ので注意が必要です。

○ Although I never got to see him, John seems to be fat.

× Although I never got to see him, John seems fat.

 知人などの話から、「ジョンが太っているようだ」という印象をもっていれば、seemを使うことは問題ありません。ただ、to beを省略しないのです。このケースは、上で述べた、「形容詞の感覚か、名詞の感覚か」とは異なる意識が働いているようです。

 単語が変わりますが、feelを使って、

 「この部屋は寒く感じる」

を英語で表現すると

 This room feels cold.

となります。

 I feel this room cold.

とは言いません。

 第5文型で、補語に形容詞をもってくると、「感覚的な意見、印象」に近い意味になります。

 CODでも、consider、thinkと定義して

 I feel it necessary to make a correction.

という用例を載せています-形式目的語itの場合は、通例to beは省略。

 ところが、to beを付けると「知覚、感覚」としての認容度が上がるようです。ジーニアス英和辞典にも、「肉体的、精神的知覚」の項目にfeel O to be C(Cは形容詞)を載せています-用例は載っていません。

△ I feel this room to be cold.

 △にしたのは、あくまで「認容度があがるというだけで、一般的な使い方とは断言できないからです。

 ところで、to beを付けることによって

 「どうして肉体的感覚、知覚の意識が生じる」

のでしょうか。

 先ほどの、seemでのケースで「話者によって直接的に観察可能な状態、あるいは、容易に知覚できる状態を述べる場合はto beを付ける」ということと関係があるのでしょうか。

 たかがseem一語のために長々と書いてきましたが、少々疲れてきたので、今回はこのへんで終わりたいと思います。

 大変な時期ですが、皆さん、くれぐれもお体には気をつけて。

 では、また。

 

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