教える英文法12(仮定法1)ー仮定法過去と仮定法過去完了
何事にもタイミングがあります。
「木を見て森を見ず」ということわざがあります。「細部にこだわりすぎて全体像を見失っている」という意味です。
たしかにそういうこともあります。ただ、「森を見るのが先か、木を見るのが先か」と問われると、どちらを先に見るほうがいいのかは、対象によって異なります。
いきなり森を見渡せる丘の上に連れていかれて、「この森は~樹林だから、あそこに~という木が生い茂っていて、あそこに~という鳥がいて、・・・」と説明されてもピンときません。
まず実際に、森の中に入り、自分の目で木を見て、鳥たちの生活を見て、実感し、感動する。その後ではじめて、丘の上から森を見ると、それぞれのつながりがわかります。
言葉の勉強にはそういうところがあります。
皆さんの中にもそれに似た経験をした人がいることでしょう。
高校に入学して、何百頁もある英文法の参考書を渡され、最初の授業で、いきなり「名詞節がどうのこうの、形容詞節がどうのこうの、副詞節がどうのこうの、・・・」と言われても、ピンときません。よくわからない段階で、文法用語を駆使して「こうだの、ああだの」と説明されると、いっぺんに拒否反応を起こす者もいるでしょう。英語嫌いを生む一つの要因かもしれません。
例えば、関係詞なら、まずはそれぞれの用法を説明し、暗唱するべきものは暗唱し、それからいろいろな語や意味を教えて、必要が生じた段階で-例えば、whateverなどは、どうしても名詞節と副詞節の概念の把握が必要になる-、必要な事だけを説明すればいいのです。
関係詞の用法がわからない段階で、「形容詞節の働きは・・・」と言われても、具体的なイメージがわきません。むしろ、上述のように、拒否反応を起こしてしまいかねません。
言葉の習得に限らず、「私たちがいろいろ苦労して作り上げ体系化したものを、あなたたちはその体系から入ることができるのです。あなたたちはラッキーです」と言われて、体系的なことがらを説明されても逆にわからないことがあります。体系化された総論はしばしば抽象的で難しいことが多いからです。
話は少し変わりますが、小学校での英語履修が本格化されました。英語でしばしば話題になるのが、理屈か実践かです。
理屈(文法)ばかりでは、実際に言葉を使いこなすことはできません。小学校、ひょっとすれば、中学校でも、理屈(文法)ばかり教えずに、もっと楽しみながら英文を覚えて話そう、という議論もあります。
たしかに、理屈ばかり理解したところで言葉を使いこなすことはできません。頭が回転しないからです。別の言い方をすれば、脳のニューロンが発火しないのです。
初めの段階(小学校や中学校)では、先生が最低限の約束事(単語や文法)を少し教えて、生徒たちが反復練習をする。あるいは、単語を変えて、互いに質疑応答を繰り返す。スピーキングを司る脳のニューロンを活性化させるためには必要だと思います。しかし、これだけで終わってしまえば、それ以上の応用が利きません。ほとんどの人は英語漬けになるという恵まれた環境にはいないからです。特に、ある程度年齢が進むと、理屈が入り込んできます。これは否定できません。
文法は、「なぜそのような文になるのか」という根本的な問題に係わっています。そういう意味では、非常に大切な約束事なのです。
本書は「英語を教える」視点から書いたものですが、「英語を教える立場の人」といっても、いろいろな人がいるでしょう。小学校で本格的に英語を教えることになって戸惑っている教師、英語教師を志望して教育実習が迫っている大学生―あるいは、社会人―、英語教育の経験が浅く自分なりの方法が確立していない教師、教師として中堅どころであっても教授法に悩んでいる人、なかには上の立場から自分たちが学んでいる英語を見てみたいと思っている高校生がいるかもしれません。立場は違っても、次の問題にぶつかることが多いかと思います。
英語をどう教えていくのか、あるいは、どう学んでいくのか。
この難題に一つの正解はありません。
教育は「生きもの」です。教える対象の生徒の学年、あるいは、習熟度、生徒が目指すもの、生徒の動機、あるいは、やる気、クラスの雰囲気、その他諸々の条件によって異なってくるからです。
ある程度の英語力を見込める生徒が対象なら、知識を深く掘り下げて説明することによって英語の考え方に対する理解が深まる可能性が高いでしょう、しかし、英語力があまりない生徒が対象の場合、英語に対する理解を深めるきっかけになるときもあれば、逆に、英語をますます難しいと感じさせてしまうかもしれません。
教える側の教師にしても、それぞれに与えられたスケジュールがあるはずです。深く掘り下げて解説すればそれだけ時間がかかります。予定していた範囲を説明しきれなかった、ということにもなりかねません。
「何をポイントにして授業を組み立てていくか」は、教える側の教師ひとりひとりが考える問題です。それに対する普遍的な正解はありません。
本書は、「英語、特に、英語を表現したり、読んだりすることに、英文法をどう生かしていけばいいのか」を長年の経験から一つの方向性を提示したものです。
最初に、項目ごとに代表的な表現や構文が書かれています《一般的説明》。ほとんどは参考書や教科書に書かれている内容ですが、通常の参考書には書かれていないものも一部含まれています。まずそれを読んで、それぞれの項目について「自分ならどう説明するか」を考えてください。
次に、《問題提起》を読んでください。それぞれの表現や構文が抱える問題点や、学習者が陥りやすい問題点が提示されています。各問題点に対する答えを、まずは自分で考えてみましょう。
その後、《解説》を読んでください。
最後に、《解説》で得た知識を基にして、自分なりの解説方法や授業の組み立てを確立してください。すでに述べたように、本書に書かれている内容は一つのアプローチの仕方に過ぎず、自分が納得できる方法がベストです。
本書で参考にした辞書は、簡略化して表記しています。
新英和:新英和大辞典(研究社)
OALD:Oxford Advantaged Learner’s Dictionary of Current English
(OXFORD KAITAKUSHA)
COD:THE CONCISE OXFORD DICTIONAY OF CURRENT ENGLISH
(OXFORD AT THE CLARENDON PRESS)
新撰 国語辞典(小学館)
本編に入る前に、仮定法の形についての問題点を見ていきましょう。
仮定法は形で決まる、と言われています。
たしかにその通りです。文法問題では、主節の中の助動詞の過去形(例えば、wouldなど)を見て仮定法だと(仮定法の可能性が高いと)判断し、if節の中は過去形(あるいは、過去完了)の選択肢を正解の候補として考えます。英文の中で、現在形の文に交じって助動詞の過去形(例えば、wouldなど)を見て、この文(あるいは、この文以降)は仮定法だな、と判断します。
学習者に仮定法の形(型)をしっかり把握させることから仮定法の授業を始めることが肝要でしょう。
文法の授業で習う仮定法の形になっていない文もあることはたしかですが、初心者にいきなり変化球を投げても打ち返すことはできないでしょう。まずは直球を正しく打ち返す基本を学習者の頭の中に植え付けることが大切です。
さて、最近の参考書で仮定法の項目を読むと、以前の参考書とは大きく異なっている点が一つあります。
以前の参考書では、おおよそ次のように説明されていました。
現在の事実に反する仮定法は仮定法過去を用いる。
If S + V(過去形) ~ → S would(could / might / should) V(原形) ~
過去の事実に反する仮定法は仮定法過去完了を用いる。
If S had + V(過去分詞) ~ → S would(could / might / should) have V(過去分詞)
「どうして現在のことを述べるのに過去形を使うのか」という疑問を感じたとしても、学習者はこの形をただ丸暗記するしかなかったのです。昔は、そのことについて説明する先生はほとんどおらず、自分の中に生じた疑問にふたをして覚えた人もいることでしょう。
少し前からは事情が変わってきて、その疑問に対する答えを説明する教師や講師も増えました。参考書もそのあたりのことを反映して、事実に反することを述べるときは時制を一歩以前に戻す理由を書いているものも増えました。
だいたい次のように説明されています。
事実の時制より過去(以前)に戻すことによって、(意識に)ズレが生じる。この(意識の)ズレこそが仮定法の本質で、表現されていることよりズレていることによって、「事実は異なる」という意識を生み出す。
たしかにその通りです。
「事実は書かれていることよりズレている」ということは。言い換えると、
「事実は書かれていること(表現されていること)とは異なる」ということになります。
しかし、こうした説明に対して少し気になることがあります。
ⅰ 説明はなんとなく帳尻合わせをしている感をぬぐえない。
ⅱ 事実を述べるのにどうして過去(以前)にズラすのか。
という点です。
もっと感覚的に
過去形を使うことによって現在の事実は異なる
とわかる説明はないのでしょうか。
仮定法時制は時制を過去に一つずらすことによって、事実に反することを述べる表現方法である。
従って、
現在や未来*の事実に反する可能性が高いときは、過去形の形をとる-仮定法過去
過去の事実に反する可能性が高いときは、過去完了形の形をとる-仮定法過去完了
*未来のことを表す内容でもif節の中は、基本的には現在形になる。
If it rains tomorrow, I will stay home.
「明日、もし雨が降れば、家にいよう」
時制を過去に一つずらせば仮定法になるので、
If it rained tomorrow, I would stay home.
のように、仮定法過去と同じ形になる。
仮定法過去完了と仮定法過去の基本形
ⅰ If S + V(過去形) ~ → S would(could / might / should) V(原形) ・・・
ⅱ If S had + V(過去分詞) ~ → S would(could / might / should) have V(過去分詞) ・・・
主節には基本的に助動詞の過去形がくることに注意。
どの助動詞がくるかは、意味による。
would ~「~するだろう、~するつもりだ」
could ~「~できるだろう、~する可能性がある」
might ~「~するかもしれない、~だろう」
should ~「~するだろう、~するべきだろう、~するはずだ」
(例文)
仮定法過去完了
If you had practiced harder, you would have succeeded.
「あなたはもっと一生懸命練習していたら、成功しただろう」
仮定法過去
If I were in your place, I would accept his proposal.
「もし私があなたの立場なら、彼の提案を受け入れるだろう」
仮定法は時制を一つ過去にずらすだけなので、ifの中の形と主節の形が異なる場合がある。
「(私は)もっと一生懸命働いていたら、今は幸せだろう」
「(過去に)もっと一生懸命働いていたら」だからifの中は過去の事柄を述べているが、主節は「今は幸せだろう」だから現在の事柄を述べている。
過去のことに反するときは仮定法過去完了、現在のことに反するときは仮定法過去という原則に忠実に従えば
If I had worked harder, I would be happy now.
となる。
3つ目の基本形は
ⅲ If S had + V(過去分詞) ~ → S would(could / might / should) V(原形) ・・・
序論で述べたように、
時制を過去にズラすことによって、事実は異なることを述べる
と説明するときに、
なぜ時制を過去にズラすと事実は異なる
ことを意味するのか、そして、
なぜ過去にズラすのか
を説明する必要があるでしょう。
その後、“一般的説明”にあるように、学習者に仮定法の3つの基本形を示すことになります。
このときにも一つ気になることがあります。
“一般的説明”で見たように、仮定法過去完了、仮定法過去には3つの流れがあります。
矢印で示すと
If S had + V(過去分詞) ~ S would(could / might / should) have V(過去分詞) ・・
If S + V(過去形) ~ S would(could / might / should) V(原形) ・・・
If S had + V(過去分詞) ~ S would(could / might / should) V(原形) ・・・
(斜めの矢印が認識されなかったので、3つの形を書きました)
となります。
ここで4本目の流れ(形)がないのでしょうか。
ifの中が仮定法過去で、主節が仮定法過去完了という形です。
If S + V(過去形) ~ → S wouldなど have V(過去分詞) ・・・
もちろん、この形はあります。しかし、この形にあまり触れられないように思えます。この形は変化球ではなく、仮定法の直球の形であるにもかかわらず、参考書や問題集であまり扱われていません。このような英文に出会うと混乱する学習者がいるのは、そういう事情があるからでしょう。
最初の基礎段階で、仮定法過去完了と仮定法過去が作る4つの流れ(基本形)を学習者に伝えなくてはいけません。
If S had + V(過去分詞) ~ S would(could / might / should) have V(過去分詞) ・・
If S + V(過去形) ~ S would(could / might / should) V(原形) ・・・
If S had + V(過去分詞) ~ S would(could / might / should) V(原形) ・・・
If S + V(過去形) ~ S would(could / might / should) have V(過去分詞) ・・・
例文を使って基本的な4つの流れ(基本形)を説明して、変化球とも言える形があることに言及するかどうかを判断すればいいでしょう―個人的には、変化球の形には、少なくとも文法の講義の時間ではまったく触れないか、あるいは、軽く触れるだけでいいと思いますが。
《解説》
略